第八章 昨今の出版業界のお寒い事情第八章 昨今の出版業界のお寒い事情■本を作る現場での実感です 本が売れなくなりました。 現場の実感では、一点あたりの売上げで見ると、最盛期の三分の一以下です。 統計的な数字も、ここ数年、長期低落傾向を示しています。 でも、数字上は毎年数パーセント程度の変動でしかありません。 実際に本を作っている現場から見ると、統計なんて問題外の落ち込みです。 統計と実感の落差がなぜ起きるかについては、先に述べたとおりです。 一部の突出した売上げを示す出版物が、数字の下支えをしているのです。 まずは、その実態がどのようになっているかをご紹介します。 出版物と一言でいっても、さまざまな分野があります。 まずは、その概要です。 ■文芸書の実態 文庫本以外は大幅な売上げ減少です。 ほんの数人の売れセンの著者をのぞいて、大幅に落ち込んでいます。 その文庫本でさえ乱発がたたって、一点当たりの売上げは、大幅に減少しています。 文庫本になれば五万部は序の口、十万部は目の前といわれた時代からは、隔世の感があります。 詩集やエッセイに至っては、さらに大きな落ち込み状況をていしています。 そのような本を置くコーナーを取り去った書店さえ、増えてきました。 ■一般書、実用書の実態 私が手がけた一般書や実用書を例にとったほうが分かりやすいでしょう。 十年前なら初版で八千冊は刷れたものが、いまでは三千冊がいいところです。 それも倉庫で寝ている期間が長くなりました。 さらに重版の可能性です。 以前なら三冊作って二冊は重版できました。 いまでは年々減少しています。 三冊作って、そのうちの一冊を重版にもち込めれば、いいほうです。 主に実用書は、カラーやイラストを多く使うので、製作費も膨れあがります。 それでも以前は、長く売りつづけることができました。 いまでは本の寿命も短くなり、最初に投資した金額を回収できないままに、絶版に追い込まれることも珍しくなくなりました。 ■社会科学書の実態 社会科学書に至っては、もっと悲惨な状況です。 初版で三千冊程度印刷していた本が、千冊作って大量にあまる始末です。 「初版部数を三百冊程度に抑えないと無理だよ」 先にご紹介した国際書院で、私はこのようにいっています。 もっとも初版部数をそこまで抑えると、一冊当たり一万円程度の定価をつけないと採算があいません。 またそこまで価格を上げると、売れるかどうか難しいところです。 「科研費」と呼ばれる文部科学省の助成金があります。 いま、多くの出版社や大学の先生などの著者は、この「科研費」の補助によって、かろうじて本をだしつづけています。 いくら内容が良くても、「科研費」の支給されない本は、採算見込みが立たないのです。 もはや断念せざるを得ない状況にまで、追い込まれているのです。 本来出版事業は、国家権力から離れ、独立して主張を述べる立場を確保してきました。 まして社会科学書です。 いまはまだ、問題が表面化していませんが、「科研費」に頼らざるを得ない現状は、まさに出版業界の自己矛盾としかいえません。 ■児童書・教科書の実態 少子化の傾向が、児童書の長期低落傾向を確実なものにしてしまいました。 当然、絵本などの児童書をはじめ、教科書などの需要も減少しています。 児童書の出版社も、さまざまな現状打開策を講じています。 大人のための絵本や、大人のための童話などの本が、書店にも並ぶようになりました。 それでも、いまの急速な少子化傾向からすると、焼け石に水のようです。 図書館や幼稚園などの大口採用に頼らざるを得ない現状は、絵本作家を目指す人たちの行く手に、大きな壁となって立ちふさがっています。 ■ビジネス書・宗教書の実態 「○十万部突破」などという景気のいい広告を見かけます。 でも物流センターや印刷屋さんの倉庫に、うず高く積まれたその広告の本を見かけます。 「ねえ、この本どうするの」 「すぐに断裁だよ。トイレットペーパーにでもなるんじゃない」 ビジネス書を売る方法は、その本が売れていると思わせることです。 ビジネス書の読者は、いま何がトレンディーなのかに敏感だからです。 売上げベストテンに入った本は、必ず目をとおすという読者も少なくありません。 そのためには、売上げベストテンに入れるかどうかは死活問題です。 だから売上げベストテンを発表する本屋さんへは、自ら大量注文をだします。 数字を上げるための、タコ足消費です。 何があってもベストテン入りしたいのです。 広告に第○刷り発売、○十万部突破と書くために、必要のない重版印刷もおこないます。 公正取引委員会に、誇大広告で摘発を受けないための窮余の方策です。 でも本当に重版印刷しているだけ良心的です。 少なくとも印刷屋さんは潤います。 宗教書もだいたいは、ビジネス書のやり方と同じです。 一時、オウム真理教が、麻原彰晃の本を店頭で買いつけては、道で配っていました。 やはり、新聞などで売上げベストテンを取り上げる本屋さんで、集中的に買い込んでいました。 ■様変わりした出版業界 整備された出版物流によって支えられてきた出版社の、生存環境が大きく変化しました。 いままでは自らの販売手段をもたなくても、やってこれた出版社です。 言葉を替えていうならば、委託制度(できあがった本を預けて、売れた分だけを清算してもらう方法)と再販制度(定価販売の義務づけ)に守られてきました。 本屋さんと出版取次によって、十分すぎるぐらいの販路を与えられてきました。 そうした環境が大きく変わりました。 ある日突然、プールで泳いでいた子供が、荒海に放りだされたようなものです。 斬新な企画と新たな著者発掘に血道をあげていては、生き残れなくなりました。 新刊を出版取次にもち込みます。 「なぜ売れると思うのですか? 根拠は? 何かデーターをおもちですか?」 「イヤー、いい本だと思うんですけどね。いままでにない本だし」 いまでは、根拠を示さないと、希望する部数を扱ってもらえません。 どの出版取次も敬遠します。 本屋さんにも相手にされません。 新たな新刊をもち込むたびに、どんどん取扱い部数は削減されていきます。 返品ゼロで、すべて売れても採算がとれないほどにまで、扱い部数が削られていくのです。 ■そしてまた同じような本ばかりができあがっていく 取扱い部数が減ると、販売のチャンスが少なくなります。 一点当たりの売上げが、たいして見込めないということと同じです。 これでは事業は維持できません。 やむなく点数を増やすことで、売上げ金額の確保を図ります。 いままでは満を持し、練りに練って、売れる本作りにすべてを傾注してきた出版社です。 いまでは、ともかく出版点数で、売上げ減少の穴を埋めざるを得なくなったのです。 出版点数という数を追いかけるのですから、当然のことながら、質は落ちます。 一点当たりの本を製作するコストも、抑えざるを得ません。 それも出版取次や本屋さんからの受けのいい、売上げ実績のPOSデーターに沿って出版企画を考えるのです。 だから既存の売れている本の、類書という道しか残されていないのです。 売れている本の類書なら、それなりの配本部数を確保できます。 独創的な企画、類書のない新規企画は、最初から相手にされません。 斬新な本作りを目指していたはずの出版社が、類書を追いかけ始めました。 もうここまでくれば読者に対する背信行為としか、いいようがありません。 読者からそっぽを向かれるのも当然のことです。 それなのに売上げベストテンやPOSデーターに媚を売るしかできないのです。 ■三匹目のドジョウを狙え 「柳の下の三匹目のドジョウを狙え」 ある大手出版社の社長の言葉です。 幹部社員を集めた会議での発言でした。 本の売れ行きが鈍化して、出版取次や本屋さんは仕入れを絞り込んでいます。 先に紹介したように、どの出版社も売れている本をウの目タカの目で探しています。 POS(電算管理システム)導入によって、売れ筋が絞られてきた現在です。 言葉にはださなくとも、多くの出版経営者が、このように思っています。 実績のある著者や、いま売れている本の類書だけが求められます。 でないと以前ほどの部数を扱ってもらえないのです。 本来求められる、個性のある本、創造的な本は敬遠されていきます。 独創性でなく類似性が、新規出版企画のモノサシになりつつあります。 でもこれで良いわけはありません。 斬新な企画が求められないわけはありません。 ■物まね出版社とぶったくり出版社 長引く出版不況で、企業維持に汲々となっているのが、多くの出版社です。 もはや冒険ができないところまで、追い詰められています。 従来の出版社が、類似企画や著名な著者だけを求めています。 そのほかは蚊帳の外です。 企画の話さえも、聞いてもらえません。 一方で自費出版・協力出版を標榜する新規出版社が台頭してきました。 出版社とは名ばかりで、お金をだしてくれる人を商売相手にしています。 文筆業を目指す人も、出版社が新人発掘にそっぽを向き、新しい企画を提案しても取りあげてもらえないので、「自費出版業者」に引き込まれていきます。 でもいまの実態では、筆者の夢や希望を奪うだけで終わっています。 多くの人が、もう二度と本には手をださないと後悔する始末です。 もちろん自費出版にもいろいろあります。 本の形になりさえすればいいという人もいます。 健康食品などをバイブル商法で売るために、本を作る人もいます。 そして宗教団体も同じです。 形だけでも本にすればいいのです。 このような人たちには、「どうぞ自費出版業者へ」とお勧めします。 でも大多数の本を作りたい人は、自分の個性あふれる本を作りたいのです。 多くの人たちに対して、自分の主張や感じたことを表現したいのだと思います。 ■出版って本当にマスコミですか? 「出版って、本当にマスコミですか?」 出版や印刷の若手経営者の勉強会で、私はこのように切りだしました。 「出版って本当にマスメディアですか? マスっていえるんですかね」 「不特定多数を対象にしたメディアと、限られた人たちを対象にしたメディアがありますよね」 その日集まっていたのは、中小出版社や中堅印刷会社の役員たちです。 日々自分たちの仕事を通じて、この違いは嫌というほど感じています。 出版とひとくくりに語られますが、出版にもピンからキリまであります。 数十万冊、あるいは百数十万冊発行する週刊誌も出版事業です。 医学書のように、ときには百冊しか印刷しない書籍も出版事業です。 こと出版に関しては、読者対象を明確にとらえた企画のほうが、確実に売ることができます。 本の場合は、まず読者のニーズありきなのではないでしょうか。 対象を絞り込み、その読者層が何を欲しているかを見極めないことには、闇夜に鉄砲を撃つのたとえどおりになってしまいます。 ■出版することが凄いんだろうか? 「出版社にお勤めですか? いいですね」 「へー、出版社をやっておられるのですか? 凄いですね」 私に会った、初対面の人は必ずそういいました。 「何を出版しているのですか?」と最初に聞かれたことはありません。 本の体裁さえ整える技術をもっていれば凄いのでしょうか? だったら、印刷屋さんや製本屋さんは、神様、仏様です。 前述の勉強会では、出版、特に書籍出版の特徴を提起したのです。 書籍のクラスメディアとしての役割りを強調したかったのです。 規模の大小だけではありません。 テレビや新聞、あるいは週刊誌などは、不特定多数を対象にしています。 限られた対象へのアプローチを第一義に考えるのが、書籍です。 その目的も手段も違います。 テレビなどのマスメディアは広範な視聴者・読者の獲得が至上命題です。 書籍出版では愛好者や研究者など限定された対象者に深く接近を試みます。 そうでないと、千円札や一万円札をポンとは出してもらえません。 タダで観られるテレビや百円程度の新聞と違うのです。 ■何を、誰に。書籍に不可欠な二つの要素 あるとき立派な哲学書がプレゼントされたとします。 一般の人、興味のない人にとっては紙クズ以下のしろものです。 でもその道の研究者にとっては、命にも代えがたい宝物なのかもしれません。 その読者にとって、価値があるから買ってもらえます。 まず読者層を見極められるかどうか。 このことが書籍出版の必要最低条件です。 これは、たとえ自費出版の本であっても同じです。 「ヘー、凄いですね。本をだされたんですか」 「ぜひ一冊いただきますわ。読ませていただきます」 口では愛想良くいってくれるでしょう。 しかし感想を聞かれたときのために、パラパラと斜め読みする程度です。 自分の主張を伝え、さらに読者に感動と共感を与えること。 この二つの課題を共に成し遂げてこそ、書籍出版、本を作る意味があります。 そしていま一番の問題は、寡占化が進み、売上げ部数を競う出版社の実態です。 自らの主張を持った出版物がどれだけ残っているのでしょうか。 読者に共感を与えるにふさわしい出版社が、何社残っているのでしょうか。 読者にただ迎合するのでなく、読者ニーズに応えながらも自らのメッセージを伝えようとする努力が不可欠なような気がするのですが。 第九章へとつづく ジャンル別一覧
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